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始まりの魔女

第五話

王妃の部屋の前で、用意された豪奢な長椅子に腰掛けていたシェリルは、小さく溜息を吐いた。
心の中は黒い霧が立ち込めたかのようにどんよりと重く、喪失感に似た感情が浮かんでは消える。以前にもこのようなもやもやとした思いに悩まされた。これは姉と離れ離れになるはずだった時の心境に酷似している。
けれど決して同じではなかった。
レイリーの時のように、失う悲しみだけが存在しているのとは違う。言いようの無いもどかしさを感じるのだ。
喜びと悲しみが同じだけ与えられ、浮き沈みする事もできず、見えない何かに縛り付けられて抑制せれている。そんな気分だった。
(ついていくべきだったのかしら)
シェリルの脳裏に、昨晩の記憶が思い浮かぶ。
珍しく、屋敷まで送ると名乗り出たアルフォンスと共に、帰路を馬車に揺られていた時の事だ。

突然告げられた言葉は、「国を出て行く」。
シェリルは驚きのあまり、手にしていたハンケチーフを揺れる馬車の床に落としてしまった。
「どうして、急に……?」
本当ならば、いつもの様に笑い飛ばして流しているところだっただろう。また口だけのはったりか、ほら吹きか。 だけど、アルフォンスの稀にしか見ることの出来ない真面目な表情に、結局冗談など言う事は出来なかった。アルフォンスは驚くシェリルに笑いかけ、国を出るといった理由を簡単に教えてくれた。
夢を探しに行くと――。
それを聞いた瞬間、シェリルの瞳にはアルフォンスが遠い人のように見えた。
今まで遊び呆けているだけの怠け者だと勝手に解釈していた自分を恥ずかしく思う。アルフォンスは自らの歩む道を自身で決めた。
シェリルは自分の人生などほとんど省みずに、ただ毎日を流されるがまま怠惰に過ごしている。そしてそれはこれからも続く。まだ夢を見つける事は出来ない。それが、今の二人の越えられない距離の差。
「ま、国を出るっつても、二度と戻ってこない訳じゃないさ。ただ、広い世界を自分の目で見てこようと思ったんだ」
窮屈な王城。窮屈な生活。怠惰な日々。
シェリルにとってそれらが全て。だけども、それを共有してきたアルフォンスはシェリルよりもずっと遠くを見つめ、夢を掴み取る為に行く。
「……そう」
この思いを何と言うのだろう。寂しくなる。そう、その言葉が一番適してる。
だけども、やはり微笑んで送り出す事は出来そうに無いし、かといって怒っても何だかアルフォンスを引き止めたいみたいで、やはりそれも出来ない。ただ、いつもと変わらない口調で、淡々と言葉を返すだけ。
「シェリルは、ずっとラウェリアにいるのか?」
「私?」
探るような視線を向けられて、シェリルは視線を横に受け流した。
答えが思い浮かばない。なんと答えればよいのだろう。ラウェリアは祖国であり、故郷。そして愛しい者達の住まう場所。それをわざわざ離れる理由など無い。だけども、いつまでもだらだらと過ごしている訳には行かない。シェリルも一人の人として、己の人生を考えなければいけない。
そして浮かび上がる疑問と不安。
長年隠してきた、この身に眠る異端の力。それを永遠に眠らせておくべきなのか。
もし、不意な事から誰かにこの力が知られてしまい、異端とされ、いつしか背神者として責められる日が来たら?
それを考えると、いつまでもラウェリアにはいられない。
「……私は、分からないわ。日常に流されているだけだもの」
これからも、きっと流れるだけ流されて行くだけだ。抗う理由がない以上、シェリルにとってそれが日常なのだ。
「もったいねぇな」
ぽつりと、アルフォンスはすっかり暗闇に包まれた外を窓越しに見つめ、そう呟いた。
その漆黒の瞳に映る感情は分からない。
「何が?」
「お前の人生がだ。いつもお前はそうやって受身で、自分からは何もしない。それじゃあ、人生損してるもんだぜ?」
「仕方ないじゃない」
どうせシェリルに何かするだけの価値有るものが無い。何も無いのだ。ただ、今は姉の事に構う振りをして、忙しい振りをして、日々の喧騒に背を向ける。静かで何も無い場所へと閉じこもる。それで、一体何が変わるのだろう?
そう、頭では理解していても、「夢」と呼べるものが見つからないうちは、シェリルは自身から動く事が出来ない。
(だから、仕方ないのよ)
心の中で、窮屈だと叫ぶ声が聞こえない気もしないけれど、それでも心の殻を打ち破るには非力すぎる。
シェリルは考えが暗い方向へと進んでいるようで、俯いて小さな溜息を吐く。
それを見たアルフォンスは、体の向きを窓からシェリルに戻すと、一呼吸の間を置いて囁きかけた。
「なぁ、やること何も無いんだったら、俺と一緒に行かないか?」
「え?」
「一緒に、広い世界に出てみないか? 少しは、視野が広がるかもしれないし、それに……お前も隠れて生きなくて良くなる」
いつも姉の背後に隠れていた強気を装った内気な少女。それを見抜いているのは、シェリルを身近でよく知るレイリーとセイファン、そして彼女に付きまとっていたアルフォンスだけ。
他人から見れば、気丈な娘と見られるかもしれないけれど、シェリルは他人が思うほど心臓に毛は生えていない。諍いは避けたいと思うし、冒険もしない。平穏であればそれに甘んじる。
そうでなければ、生れ落ちた時より持っていたこの力を、もっと大々的に使っていただろう。
それでも、それをしなかったのは、怖れていたから。冷たい視線に晒される事を何よりも怖れたからこそ、シェリルは人々の影の中に生きて行こうと、そう思っていた。
けれど影の中は、居心地が良いと同時に、どこか窮屈さを感じる。息苦しい。だけども自ら嵌めた枷に縛られて、結局何も出来なくなってくる。
「どうだ?」
アルフォンスの漆黒の瞳に覗き込まれ、シェリルは微かに狼狽する。
何と答えよう。
彼の誘いは、シェリルが密やかに望んでいた事。そして、彼はその言葉をくれた。ならば、シェリルは答えるだけ。だけども、突然すぎた告白に、まだ心が追いつかない。たった一言で全てを決めるには、少しばかり早すぎる気がする。
そう、彼とともに夢を探してもいいかもしれない。いや、そのほうがきっと自分の為にもなる。
けれど心に引っ掛かるのは不安と待ち遠しさ。先ほどまで微笑を浮かべて共にいた姉のやつれた姿が目に浮かぶ。御子を身ごもり、それでも異常なまでに衰弱している姉をこのまま一人残してよいものか? そして生まれてくる御子を第一に見たいと望む自分がいるのも確かで。
セイファンが信用できない訳ではない。ただ、レイリーは昔から外見に反し芯の強い女性で、自身が重荷となることを素直に受け入れる性質ではない。きっとシェリルにもセイファンにも言っていない事があるのだ。だからこそ、それが心配でシェリルは毎日の様にレイリーの様子を見に王城へと足を運ぶ。出産間近となった今の時期、やはり姉への愛情は捨てきれない。
「……」
喉元まで出かけた言葉は、脳裏に敬愛するべき姉の顔が横切った事で飲み込まれた。
そうだ、まだ行けない。もう少しだけ、傍にいてあげなくては。でないと、何か悪い事が起きてしまいそうで……。
「折角の誘いだけど、もう少しだけ待ってくれないかしら?」
本当は今すぐに答えたい。だけども、何かが心に引っ掛かる。
アルフォンスは残念そうに馬車内の背もたれに寄りかかった。だが、その表情は然程残念そうではない。
「そうか。まー……しょうがねぇから待ってやる」
ふて腐れた子供のように、アルフォンスは照れ隠しのつもりか窓の外へ視線をやる。微かに、頬が赤く見えるのは蝋燭の火のせいではないだろう。シェリルは生まれて初めて、アルフォンスが可愛らしい年頃の少年に思えた。
「あら? 私なんて置いていっても良いのよ?」
からかい半分にそう言うと、予想通り彼はすぐさま振り向いてむきになったように言い返す。
「ばーか、それじゃあつまんねぇだろ」
「何が」と聞くのは流石に無粋かもしれないので、シェリルは小さく笑った。それにつられたのか、アルフォンスは柳眉を潜め、それでも口元に穏やかな笑みを浮かべた。
顔を合わせては口喧嘩ばかりしていたけれど、それでもシェリルはアルフォンスと共にいる時は不思議なほど安らかでもあった。唯一、間違いなく自分を見てくれて、知っている人がいる。それが、幼い頃より心に存在していた「力」に対する不安と劣等感を打ち消してくれてたのかもしれない。ただ純粋にそれが嬉しくて、シェリルはいつかアルフォンスと共に旅をする自分を思い描き、先への希望を見出して、柔らかく微笑んだ。

それが、最後の穏やかな時間。
終わりを告げたのは戯曲か幸福か。
それでも交わした口約束は、二人の心に深く刻み込まれた。

そして翌日、アルフォンスは姿を消した。
誰にも見られる事無く、誰にも知られる事無く、一人で旅立って行った。
てっきり、シェリルが答えるまで待っていてくれると思っていた自分が、歯がゆいほど愚かに思える。けれど、彼を束縛する権利などあるわけも無く、シェリルも今は姉から目が離せない。仕方がないのだ。
それでも、寂しいと感じてしまうのはきっと本心からで、それが今の憂鬱の原因。
「シェリル?」
名を呼ばれ、顔をあげるとそこには見慣れた人がいた。アルフォンスとどこか被る、白い王。その深い夜色の瞳が、心配そうにこちらを映し出している。
「セイ様……っ、でなくて、……陛下」
シェリルはいつもの癖で王となったセイファンの呼称を間違える。
仮にも王と、王家の血筋の流れの中にあるとはいえたかが貴族の娘。やはり身分は違う。失礼は許されない。
「いつも通りで良いよ。人払いしてあるから……」
「はい、セイ様」
穏やかな微笑を向けられ、シェリルは強張った体がほぐれた気がした。確かに今この場所には誰も居ない。シェリルの座る場所は、王妃の部屋へ続く小さな間室。真紅に縁取られた豪奢な扉の向こうには、姉であるレイリーがいる。そして医者と数人の侍女たちが。
アルフォンスが行方を眩ましたその日の夕、相変わらず人目を盗んで「力」を使い音速移動ができるか試していたシェリルのもとに、突然王より呼び出しが掛かった。慌てふためき、着の身着のまま飛び出してきたところ、訳も分からずシェリルは一目散にレイリーのもとへと駆けつけた。だが、部屋には入れてもらえず、部屋の外の小さなこの場所で待つように言われたのだ。そして、待つこと一時間もしないうちに、医者と侍女が慌ただしく部屋へとなだれ込んで行ったので、シェリルは状況を何となく把握した。恐らく、待ち侘びていたその日がきたのだ。とうとう、レイリーが母となる時。それは喜びに満ちている反面、どこか不安を誘う。
そして延々と待たされ続けてどれほど経っただろう。いまだ産声は上がらず、静かな部屋でただ物思いに耽っていたシェリルは、セイが王妃の部屋から出てきたことにも気付かなかった。
そんなにも、アルフォンスの事がショックだったのかと、自分自身の女々しさに少々幻滅する。
「アルフォンスが心配かい?」
静かな湖のように穏やかな声で、セイファンはシェリルに問い掛ける。
シェリルは小さく首を横に振った。
「いいえ。アルフォンス皇子はたとえ地獄の業火で焼かれても平然としていそうな輩ですわ。心配する訳無いでしょう?」
本人が目前にいたならば、目頭を吊り上げて怒りそうな言葉をシェリルは言う。
そう、心配などしていない。ただ、置いていかれたことに少しばかり寂しさを感じるだけ。
あまりにも自分らしくない考えばかりが思い浮かび、それを振り払うようにシェリルは軽く頭を振ってから、別の話題へと切り替えた。
「それよりもセイ様、姉上は大丈夫でしょうか? 最近妙にやつれていたようですし、何だか眠れていないようで……」
不眠症という症状にしては重すぎる。もとより体が丈夫な訳ではなかったが、最近の姉は何年も日の目に当たらずに暮らしてきたような衰弱振りだ。青ざめた唇、痩せた肢体。病的なまでに青白い肌の色。まるで風前の灯の命をみているかのよう。これで、本当に大丈夫だろうか。本当に御子など生まれてくるのか。
不安は先走りしていく。
「僕もそれが気がかりだ……。先ほど医者に怒られてね、『何故こんなにも衰弱しているのか?』って。でも僕の前ではレイリーは普段と変わらないし、食事もちゃんととっているはずんなんだ。……ただ、毎晩うなされていて、悪い夢を見ているようなんだ」
「悪い夢?」
悪夢を見ただけで、人が衰弱するなどおかしな話。だけども、セイファンが嘘を吐いているようには思えなく、レイリーの容態は普通ではない。
シェリルは思考をめぐらせた。何が原因なのか、と。悪夢で人を衰弱させる。そんな事出来るのだろうか?
いや、出来るかもしれない。人の心に入り込み、それを毒す事はシェリルにならば出来る。意のままに操るまではいかなくとも、心の弱い相手を動かすのは簡単だ。前に、絶えずついて来る護衛兵が邪魔だった時にシェリルは彼等の心に入り込み、眠れと命令した。すると、急に空になったように彼等の心は暗く眠り、肉体は不自然にぐったりと動かなくなった。どちらかといえば気絶の症状に近いかもしれないが、人の心に入り込むのは容易いのだ。「魔道」を使うことさえ出来るのならば。
ならば誰が? 動機は何だというのだろう?
優しく美しいレイリーを恨むものなどいないと思っていた。貴族は勿論民からも慕われ、その美しい歌声に惹きこまれる。一体、誰が聖なる歌姫を呪うと言うのだろう?
「セイ様、最近回りで怪しい行動をしている人はいませんか?」
脳裏に過ぎる不安は、誰かが「魔道」に堕ち、それを何らかの悪意で使っていること。
シェリルではない、誰かが。
魔道を使うなど、常人には無理な話。だが、常人でも一つだけ、魔道を使う方法が有る。それは神にも許されない行為。
――悪魔に魂を売り渡し、その代償に力を授かるのだ。
それが魔道を使うための条件。前に読んだ文献にそう記されていた。それが本当かどうかは分からない。だが、シェリルのような異例児がそうそういるとは思えない。アルフォンスも魔術を使ってみようと色々と粘ってみていたが、結局旋風一つ起こす事も出来なかった。
シェリルの「力」が魔道に属するものなのかどうかは分からないが、きっと近い何かがあるはずだ。
シェリルならば、それを知ることが出来るかもしれない。
「怪しい、か。……シェリル、ドルアーノの事は知っているね?」
「ええ」
ドルアーノは遠い親戚だ。知らない訳はない。シェリルも何度か顔を合わせたことがある。前王の二十、歳の離れたつかみ所の無い不思議な雰囲気を持つ男。預言者のように長く伸ばした純白の波打つ髪が特徴的だったのを覚えている。何処と無くセイファンと似ていないでもないが、ドルアーノはセイファンよりも遥かに刺々しい気を纏っていたし、こんなに柔らかく微笑む事は出来ない。一見哀愁すら漂わせる窪んだ瞳はいつも鋭い光が宿り、シェリルは彼が裏が有りそうな嫌な人物と判断していた。正直な話、あまり好きではない。
「最近、あの人が怪しい動きを見せている。密偵の報告では、王位を狙う反乱組織が動いているらしい。もしかしたら、それと関係あるのかもしれないが……。でもレイリーと接触した事は一度も無いはずだ」
つまり、ドルアーノはこの事とは関係無いように思われる。ドルアーノはあくまでも王座を狙っているのであって、王妃の座を狙っている訳ではない。反乱を起こすつもりならば、セイファン自身を狙うはず。それをわざわざレイリーに仕掛けるなど、回りくどい事をする理由が見つからない。だが、レイリーの衰弱振りには目を見張るものがある。やはり、何かが裏で起こっていると考えてしまうのは致し方ない。
シェリルは少しばかり考えた。何が起こっているのか。アルフォンス伝いにドルアーノの不審な動きについてはある程度知っている。セイファンを陥れようとしている、と言う事も。だが、シェリルにもレイリーを直接狙う理由はわからず、思考は行き止まりで右往左往するだけ。
「そう、ですね。ドルアーノが何かしているとは考えがたいですものね」
シェリルの心の奥底で深く潜んでいた不安が形となって現れてくる。口ではそう言っても、一つの可能性がある以上、ドルアーノに警戒の目を向けるのは忘れてはいけない事柄だ。セイファンに知られたくない一身で、シェリルはあえてドルアーノが「魔道」を使っているのかもしれない、という事は言わなかったが、それでも微かに脳裏を焦がすような考えが思い浮かぶ。
「セイ様。これは私の私的な意見ですが、姉上は最近ぼんやりとしている事が多いですし、何だかおかしいですわ。セイ様は仕事でお忙しいので、気付く事は出来ぬやもしれませんが、私ならば姉上の異変に気付く事が出来るかもしれません」
今まで共に暮らしてきたシェリルには、レイリーの体調変化や感情の変化に敏感に察知できる。離れ離れの一年間。寂しさばかり募っていたが、それでも姉の心配は毎日のようにしていた。
「私を姉上のお傍に置いては下さいませんか?」
それで改善されるとは思っていない。だが、シェリルにとってレイリーはたった一人の姉であり、離れ離れとなった今でも血の繋がった家族だ。守りたいと思うのは、当然の感情。
それに、もしドルアーノが「魔道」を使うことが出来るのならば、シェリルはそれを阻止する事が出来るかもしれない。シェリルの力が「魔道」かどうかなどは分からない。だけども、シェリルには並大抵の「魔道」の力にならば打ち勝つ自信があった。
意外な義妹の言葉に、セイファンは驚いたようにその紫紺の瞳に不安な影をちらつかせる。
「確かに、誰かがレイリーに付き添った方がいいのかもしれないけれど……シェリル君が? いくらなんでも、君はグローランス家の姫君で……まさか、僕達の問題に巻き込むわけにはいかないよ」
今の王城は只でさえ荒れているのだ。毎日の様に暗部からドルアーノの動きを知らされ、その対応に追われる。表向きは潔白とした城も、内部を知るものにはどろどろの腐れた状況で、少しでも深入りしようものなら国の中枢の汚れた部分を嫌でも知ることになる。セイファンはシェリルにそんなものを見せたくは無かった。
それに、セイファンの身内と知れれば、いつ何処でドルアーノに利用されるか分からない。
それが一番の不安の種だった。
「心配には及びませんわ。父は私を必要としていませんし、私は姉上のためならば例え火の中水の中、どこでも行きましょう」
これは賭け。もしドルアーノが魔道を扱うものならば、シェリルも乗じて「力」をぶつけるだけ。だが、これにドルアーノが関わり無ければ、シェリルは立場の上苦しくなる。ましてや、シェリルとて魔道に堕ちた者と同じような「力」を持っているのだ。怪しまれ、調べられてしまえば自爆するだけ。
それでも、大切な姉を見捨てる事は出来ない。
セイファンは不思議そうにシェリルを見つめた。冬の夜空のように深く澄んだ瞳に、シェリルは心が見透かされてしまいそうで、微かに緊張する。確かに、シェリルの行動と言葉は不思議がられて当然だ。レイリーの不思議な症状は、医者でも解明できないのだ。それを、シェリル一人がどうこうできるようには見えないのだろう。だが、シェリルもここで引き下がる訳には行かない。
「私は姉上の事ならば熟知しています。それに……目に見える事実だけが、結果を出すとは限りませんわ」
少しばかり寂しげに、シェリルは呟いた。
セイファンはそんなシェリルを見て、戸惑うように困惑の眼差しをむけた。
シェリルはその瞳を正面から捕らえ、微かに眉宇を潜めて微笑んだ。本当ならば、セイファンに「魔道」の可能性の事を告げるべきなのだろう。だが、シェリルにはそれを言う勇気は無かったし、これ以上優しい青年の不安を重ねたくは無かった。
「シェリル……?」
急に大人びて見えた少女の様子に、セイファンはうろたえる。
「……セイ様、人の悪意は呪いに変わるかもしれないけれど、私の思いは必ずや王と王妃の期待に答えましょう」
遠まわしの言葉は、只単に信じて欲しい、とそれだけ。
もし、全てが空回りして、最悪の事態シェリルの力が「魔道」と思われ、裁きを受けようとも、愛する者達の為に自ら選んだ道なのならば後悔はしない。
生れ落ちた時より持つこの力。望んで手に入れた力ではない。魔道を望むものの大半は悪意で使用する。それは憎しみだったり、己の利益の為だったりと様々だが、少なくとも善意には使われない。使い道はあるけれど、悪魔と契約をしてまで善行をする者などいないだろう。だからこそ、魔道は疎まれ怖れられる。それは当然と言えば当然なのだが。
だが、シェリルは違う。悪魔と契約を交わしたわけではないし、悪意に使おうとも思わない。勿論、知られる事を怖れていたので、善意に使う事も無かったのだけれど。
それを愛する者達の為に役立ててみよう。
「……わかった。君がそこまで言うのなら、僕は何も言わない」
セイファンは諦めたように小さくそう呟いた。
「今日、この部屋の隣の部屋を空けておくから、そこで休むと良い」
その言葉にシェリルは急に幼くなったように強張った表情を崩し、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、セイ様。必ず、姉上をお救いして見せますわ」
何処と無く込み上げる不安を飲み込んで、セイファンは微かな希望に賭けることにした。
今はそれしか方法が無いのだから。
「ああ、でも無茶はいけないよ?」
時々度肝を抜かれるほど斬新な、言い方を悪くすれば型破りの行動をする彼女の事だ。全てが上手く収まるとは考えがたい。見た感じでは姉と同じようにひ弱な印象を受けるシェリルだからこそ、セイファンは余計にその身を案じた。
「大丈夫ですわ。全て、姉上のためですもの」
分かっているのか、分かっていないのか。曖昧にしか相手の感情を読み取る事が出来なくて、セイファンはやはり消えない不安の影が大きくなった気がした。
そして、二人が話に結果を出したところで、扉の向こうから声が上がった。
引き裂かんばかりに叫び泣く、幼子の泣き声が静寂に包まれた城に木霊する。
まるで暗闇を払う光のように力強い声で、命を受けた事を誇示するかのように途切れる事無く、誰かを呼ぶように泣き続ける。
セイファンはシェリルに目で合図してから、飛び込む勢いで豪奢な赤い飾り枠のついた扉の方へと駆け出した。
それにつられて、シェリルも彼の後を追う。
闇が霧散し、消えたかのように思えた一時、ほんの僅かな一筋の光が暗雲を払いのけ、降り注いだ気がした。

ラウェリアの時期国王になる御子が生まれた報せは、一晩中に国の隅々まで流れた。