始まりの魔女 -2-

 

 時は流れ、五年の歳月が過ぎていった。

 聖ラウェリア国は年に一度、肌寒い冬に建国記念日を祝う宴が催される。

 気候は温かい土地ではあるが、冬にもなると寒さが立ち込める。零れる吐息は白く霞み、池は凍り、木々は衣を落とし、白亜の世界に彩られる。

 丁度二十回目の誕生日を祝ったラウェリアの第一皇子は、次の建国記念日に王位を授かる事となっていた。

 現国王のファン・セーレスティリアは若くは無い。

 数えれば今年で六十を越える歳になるだろう。高齢で授かった子供だからこそ、溢れんばかりの愛情を注ぎ、国王は希望とともに王位を息子に明け渡そうと決めていた。本来ならば、若すぎる息子ではなく、四十を少し回った王弟ドルアーノに位を授けるべきなのだが、国王はあえてそれをしなかった。

 ドルアーノは薄気味悪いほど淡々とした政務を行い、礼節や儀を軽んじ、己と国の利益しか考えない。それは王政に向く性質とは言いがたく、また底知れぬ腹黒さがある気がして、ファン・セーレスティリアは二十歳の離れた、腹違いの弟を快く思ってはいなかった。

 王は王位継承式と共に、息子の婚礼の義もあげようと考えていた。

 目に入れても痛くないほど美しい花嫁と、優しく穏やかながら立派に成長した息子の晴姿を早く見たくて、王はその日だけを心待ちにしていた。

 
 
 
 

「姉上。もうすぐ、婚礼の儀があげられるのですよね?」

 白い光の差し込む、目も眩むほど豪奢な調度品に囲まれた部屋で、二人の女性が微笑みを浮かべて、穏やかな一時を過ごしていた。

 今年十七になるシェリルは、近付いて来た姉とセイファン皇子の婚礼式を考えると、どこか憂鬱な気分になった。二人の事は心から祝福している。だけど、王妃となった姉は、遠い王宮に移り住む事になり、一人残されるシェリルは寂しさを感じていた。そして、王となったセイファンには、今までのように親しく会うことは出来ないだろう。子供だからこそ許された逢瀬も、大人になれば許されない。つまらないしがらみに縛られて、大切な人はシェリルの傍から離れていく。

 正直に言えば、酷く悲しい。

「ええ。一週間後の建国記念日にセイファン皇子が即位してから式をあげるの。勿論シェリルも来てくれるでしょう?」

 姉の優しい微笑を向けられ、シェリルは曖昧にしか答えられない自分にもどかしさを感じた。

 妹のシェリルの目から見ても、レイリーの美しさは神々の世界の住人のように映る。陽に透けて輝く金糸の髪、深く幻想的な樹海を閉じ込めたかのような翡翠の瞳、きめ細かく滑らかな肌は陶器の様に白く、薔薇色の唇は美しい歌を紡ぐ。その研ぎ澄まされた美しさは、異国の詩人にも歌われるほどだ。

 同じ親から生まれた姉妹でありながら、シェリルとレイリーはあまり似ていない。

 シェリルは自分が醜いとは思っていないが、それでも眩しすぎる姉の隣にいるには役不足のように感じた。

 よく外で遊びまわっていたため、肌は然程白くは無く、桜色の髪は癖っ毛だ。唯一、その瞳だけは姉と同じ色を讃えている。

 それでも、頭から指先まで完成された姉と比べると、少しばかり気落ちしてしまう。

 シェリルは鏡に映る自分を見て、溜息を吐いた。

「姉上が行ってしまわれると、寂しくなる……」

「あら? シェリルは私のたった一人の大切な妹よ。いつでも遊びに来れば良いわ。セイファンはそんなに心の狭い方ではないでしょう?」

 勿論、シェリルも暇さえ見つければ毎日の様に愛しい姉と義兄に会いに行くだろう。

 しかし、きっとそれは長くは続かない。

 回りの者がシェリルを阻むだろう。

 王に取り入ろうとする不埒な輩、とみなされるかもしれない。愛妾などと噂が立てば、誠実なセイファンに傷がつく。シェリルは己が何と言われようと構わないが、レイリーとセイファンの二人に害意が向けられるのは耐えられない。

 だからこそ、毎日会いに行く訳にはいかないのだ。

「姉上は、セイ様に嫁いで幸せ?」

「勿論よ。セイファンはとても優しいし、私を愛してくれてる。私、小さい時からセイファンのお嫁さんになる事が夢だったのよ」

 心から幸せそうに、レイリーは微笑んだ。

 夢。

 考えた事も無かった。

 シェリルは、小さい時から何を望んでいたのだろう? 自分でもよく分からない。

 ただ、姉の後をついてまわり、庇護されて、それが永遠だと思っていた。

 幼くして母を亡くした二人の姉妹は、お互いが唯一の存在だったのだ。

 それでも、時と共に二人は別の道を歩む事になり、分かれ道は目の前まで迫ってきていた。

「私は、姉上の傍にいられる事が夢だわ。ねぇ、姉上。私を使いでも何でもいいから連れて行って下さらない?」

「何を言っているのシェリル? 貴方はグローランス家のお姫様なんだから、いくらなんでも私の権限で連れて行く事は出来ないわ」

 するとシェリルは鏡面台に映る自分を見て、小さく呟いた。

「だって私、ちっともお姫様らしく無いもの」

「そんな事無いわ。シェリルはとても綺麗になったわ。前に庭師の子が貴方の事を褒めていたのよ?」

 レイリーは立ち上がって、シェリルの背後に回り込む。鏡面台に腰を下ろしていたシェリルは姉を見上げたが、すぐに鏡に視線を戻す。レイリーは手にくしを持つと、そっとシェリルの髪に触れた。

「私、シェリルの髪、好きよ。柔らかくて、春みたいに綺麗な色ですもの。本当言うと、ちょっと羨ましいわ。私なんて、そう珍しい色じゃないもの」

 残念そうにレイリーは肩をすくめる。

 そんな事は無い、とシェリルは言おうとしたが、それよりも早くレイリーが手にしたくしで、シェリルの腰まで届く髪を梳きはじめた。

「シェリルは元気に笑っている時が一番綺麗よ。……そうだわ、髪の毛も上げてみたらどうかしら? きっと似合うと思うわ」

 まるで人形遊びを楽しむ子供のように、レイリーはシェリルの癖のある髪の毛をいじりだした。

 そして、髪の毛をすくい上げ、高い位置で固定させると「ほら、どう?」とシェリルに鏡を見るように促す。

 シェリルは鏡に映った自分を見て、少しばかり驚いた。

 だらだらと下ろしていた癖のある薄桃色の髪の毛は、さっぱりと纏められ、シェリルのはっきりとした顔立ちを際立たせて見せてくれていた。

「姉上の手に掛かると、何でも良く見えてしまうみたい」

「違うわ。シェリルはもともとが良いから、少し手を加えるだけでとても輝くのよ?」

 レイリーは自身の髪を止めていた翡翠色の髪飾りを外すと、シェリルの髪留めとしてつけてやった。

「良く似合うわ。これ、シェリルにあげるわ」

「良いの?」

「もちろん。シェリルの方が似合うもの」

 柔らかく微笑んで、レイリーはシェリルの隣に腰を下ろした。

 シェリルは姉につけてもらった髪飾りを手で触ってみてから、嬉しそうに笑みを零す。

「ありがとう」

 髪留めよりも、姉の心遣いが嬉しくて、シェリルは最愛の人に感謝の言葉を述べる。

「いいのよ。それよりもシェリル。この間アルフォンスと出かける約束をしていたでしょう? あれはどうなったの?」

 シェリルは幸せな気分から、一気に奈落の底へと突き落とされた気がした。思い出したくも無い出来事が浮かび、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「あれは……アルフォンス! あの愚か者は私を騙したのです……! 思い出すだけでも忌々しい。あの日、私に見せたいものがあるからと言って、ついていったら……」

 わなわなと唇を震わせ、拳を握り締めて怒りを堪える。

 レイリーは妹のその様に疑問を持つ。

「ついていって?」

 きっ、とシェリルは虚空を睨みつけ、声高々に言い放った。

「事もあろうか私をゲテモノ博物館につれていったのです!」

「あら? 爬虫類博物館に行ったと聞いていたけれど?」

「同じです! 乙女を引きずってどこへ行くかと思えば……。二度と許さないわ!」

 シェリルは野を駆け木に登ったりとお転婆なわりに、虫や爬虫類が苦手だった。アルフォンスもそれを知っていた上で、誘ったに違いない。珍しく下手に出てきた態度といい、不自然な点は多々あった。爬虫類独特の臭いに酔いそうだったシェリルに、アルフォンスは満面の笑みを浮かべ、蜥蜴のレプリカを押し付けてきた。そこでようやく嫌がらせだと気付いた。

 シェリルは元々印象最悪のアルフォンスに、大嫌いのレッテルを貼って泣きながら帰って来たのだ。

「セイ様はあんなにも素晴らしい方であられるのに、あの愚弟は人として恥ずべき者です!」

「シェリル、アルフォンスの事、嫌いなの?」

 鈍すぎる姉は、シェリルの言動をどう解釈していたのか全く分からない問をしてきた。

 答えるシェリルはきっぱりと言い放つ。

「私はアルフォンスが大嫌いです!」

 心の底から恨んでやる、と言わんばかりの勢いで、シェリルは姉の義弟になる者を罵った。

 息巻くシェリルの反応に、姉は困ったように微笑むだけだった。

 
 
 
 

 どんなに時よ止まれと願っても、自然の摂理のまま時間は絶えず流れる。

 シェリルの心など露知らず、ラウェリアの人々が待ち望んだ日が来てしまった。

 民衆の祝福の声、新たな王を迎える希望に満ち満ちた晴れやかな笑顔、美しく着飾った貴族たち。皆幸せそうに微笑んでいる。

 だけど、シェリルの心は晴れない。

 どれほどこの日が来なければ良いと祈っただろう。

 何にも代え難い姉を奪われるような感覚。シェリルにとって五十五回目の建国記念日は、憂鬱な気分に包まれたものだった。

 じきに純白のドレスを身に纏った、聖なる歌姫が王城の窓から、王位を継承したセイファンと共に姿を表す。

 それを境に、たった一人の姉は遠い存在になる。

 寂しくて悲しくて、行き場のない想いが心に黒い染みを落とす。

 シェリルは王城が良く見える背の高い木の枝に腰掛けて、小さく溜息を吐いた。

 頭の高い所で結わえた長い髪が風に流されていく。姉からもらった翡翠色の髪飾りが寂しげに光り輝いた。

(いっそのこと、時間を止めてしまう魔法でも使えれば良いのに)

 そうすれば、姉と別れ別れになることもなく、永遠に傍にいられる。

 けれどそれは人の分を過ぎた愚かな行為。時間を止めるなど誰にもできるはずは無い。

 たとえ出来たとしても、人の身であるシェリルが犯して良い領域ではない。誰かの運命を理に反して留めるなど、悪魔の所業だ。そう頭の中では理解できても、心がそれについていかない。

 憂鬱な物思いに耽っているシェリルは、ぼんやりと虚空を見据え、浮かない表情で本日何度目かも分からない溜息を吐いた。

 そこで木の根元に誰かが近付いてくる気配を感じ取る。

 シェリルが今いる場所は、王城の庭園だ。易々と誰かが入り込める場所ではない。

 それに、貴族や衛兵は皆、広場の方に集まっているはず。一体誰が、寂れた庭園に足を運ぶのだろう?

 不思議に思ったシェリルは近づく誰かに向かって、「念じた」。ふわりと辺りの風が集い収縮し、シェリルの思うままに動き始める。枯れた秋葉を巻き込み、旋風となったそれは、近付く誰かに向かって勢い良く吹き抜けた。

「うわっ!」

 下から、驚いたような男の悲鳴が上がる。

 それはシェリルが今一番会いたくは無い、憎々しい輩の声だった。

(アルフォンス……!?)

 聖ラウェリア国の第二皇子は、大事な婚礼式と王位継承式に出席せず、一体何をしているのか。

 不思議こそ思うが、それでも今は誰にも会いたくは無いシェリルは、あえて声を掛けようとは思わなかった。

 誰も、シェリルが不思議な力を使うことを知らない。

 今の風が魔法だと解釈するものはいないはず。それならばここで息を潜めていればいい。

 そう思った束の間、アルフォンスの声が庭園に響き渡った。

「シェリル! いるんだろ? こそこそしてないで出て来いよ」

 名を呼ばれ、シェリルは驚きに瞳を瞬く。

 何故、シェリルがここにいると分かったのだろう?

 訝しむように、シェリルは木々の枝の合間から下を覗き込んだ。

 そこには、シェリルを見つけ見上げる、アルフォンスの姿があった。

「そんな所にいたのか」

「何をしにきたの、アルフォンス皇子。戴冠式は玉座の間で行われるのよ。こんな所で油を売っている場合じゃないでしょう?」

 心のうちでどこかへ行けと毒づき、シェリルは瞳を曇らせる。

 こんな時まで嫌がらせをしたいのか?

 シェリルは苛立たしげに立ち上がり、移動すべく辺りを見た。飛び移れる木がないか視線だけを走らせて探る。多少の距離なら、気付かれない程度に力を使えば移動できるはず。アルフォンスを追いやるより、シェリルが逃げた方が早いと判断しての行動だ。

 だが、彼女が良い枝を探すよりも早く、アルフォンスが再びシェリルに声をかける。

「シェリル。下りて来いよ」

「嫌よ。私は今一人になりたいの! 皇子の冗談に付き合っていられないわ」

 こちらは真剣に悩んでいると言うのに、皇子の口調には軽薄さしか感じられない。

 傷心の乙女をいたわる言葉の一つや二つ、掛けられないのか。もしくはそっとしておいてやろうという気遣いに考えが及ばないのか。

 シェリルはふつふつと沸き起こる、日々の恨みを晴らしてやりたい衝動に駆られた。

「なぁ、シェリル。いつまでそうやってふてくされてる気だよ。レイリー義姉様、寂しがってたぞ?」

「……放っておいてよ」

 あくまでも拒否するシェリルに対し、アルフォンスは一呼吸の間を置いてから、呟くように囁きかけた。

「寂しいのはお前だけじゃないだろ?」

 その言葉に、シェリルはきつく唇を噛む。言われなくても、分かっている。大好きな姉の事を一番身近で知っているのは、他の誰でもなくシェリルなのだから。

「……貴方に何が分かると言うの? そうね、貴方はこれから家族が増えて、今まで以上に楽しく幸せに暮らすんだわ。でも私は違う。姉上だけが私の家族なの。たった一人の大切な人なの。その人と離れ離れになる日を、どうして祝えるの?」

 浮かび上がる感情は一つだけ。寂しい。

 母を幼くして亡くしたシェリルの傍に居たのは、距離を感じる父と、淡々とした召使や侍女達だった。父に必要以上口を利くなと命令されていたため、家の中は静寂が満ちていた。シェリルにとって父は、血の繋がった他人だった。彼から愛情を注がれた記憶は無い。豪奢なドレスや調度品を贈られる事はあっても、優しさという心に触れる温もりは与えられなかった。

 その中で、レイリーだけが違った。陽だまりのように惜しみない愛情を注いでくれた彼女は、シェリルの希望だった。なのに、母のように優しく包み込んでくれた姉は、遠い場所へと去って行く。追いかけたくても、立場と言う壁が重く眼前に聳え立つ。

「姉上のいない生活なんて……」

 小さく肩を震わせ、シェリルは膝を抱えて蹲った。泣いているのかも、自分では分からない。

 ただ感情だけが激しく悲鳴をあげる。悲しい。悲しい。耐えられない。

 自分の事ばかりで、姉の幸せを祝う事の出来ない、汚い自分に嫌悪する。

 それでも、行き場のない思いだけが、心に深く溜まっていく。

 ――時間を止める事が出来れば……。

 願わずにはいられない。それがどんな過ちだとしても。

「シェリル」

 すぐ傍で、アルフォンスの声がした。

 はっと弾かれたように、シェリルは顔を上げた。視界に飛び込んできたのは、いつの間にか木に登ってきたらしいアルフォンスの、普段にない真面目な表情。いつものふてくされた顔でもなければ、意地の悪い表情でもない。シェリルが今まで一度も見たことの無い、澄んだ目をした美しい第二皇子がそこにいた。

「そんなに寂しいなら、毎日でも会いに来ればいいじゃないか?」

「……無理よ。王と王妃に会う為には、たとえ親戚でも厳重な警備がしかれるわ。私の身分は、貴方のように自由が許されない」

 一人では無理だ。今までのように、大好きな姉に会う事は出来ない。

 王家とはなんとわずらわしいものなのだろう。

 せめて普通の貴族だったならば、少しは違ったのかもしれないのに。

 湧き水のように止め処なく沸き起こる感情の醜さに、シェリル自身が嫌になる。それでも、どうする事も出来ない。

 嘆き蹲るシェリルを見て、アルフォンスは小さく言葉をかけた。

「口実なら俺が作ってやれる」

 彼は仮にも皇子。客人を招くと言えば、誰も止めたりはしない。

 シェリルが一人で押しかけるよりは、よほど自然に見えるだろう。

 アルフォンスの意外な言葉に、シェリルは涙が頬を伝うのも忘れて、呆然とその黒い瞳を覗き込んだ。

「どうして……?」

 悪戯好きの、いつまでもガキ大将の皇子は、こんな事など言わない。彼はシェリルの嫌がる事を考えるのが趣味なのだと、疑いたくなるような性格の持ち主。決して、優しくなど無い。

 それが、シェリルの知るアルフォンス。

「寂しいから……。俺だって兄様がとられるのは嫌さ。だけど、お前はもっと寂しいんだろ?」

 そう、寂しい。一人にはなりたくない。

「……卑怯よ。それじゃあ、私が貴方に会いに行かなくちゃいけないみたいじゃない」

「でも、大好きなレイリー義姉様にも会えるだろ?」

 そうすればどちらも寂しくなど無い。

 永遠を願う心が一瞬の内に溶ける。時間など止めなくてもいいのだ。今この時が、心温まる瞬の幸せ。

 なんと温かいのだろう。

 嬉しくて、シェリルは透明な涙を零した。涙を見られることは好きではないのに、それでも自然に零れ落ちる涙を止める方法も分からなくて、少女は心に浮き上がった感情を言葉にする。

「……ありがとう」

 柔らかく微笑む事は出来なかったけれど、それでも精一杯の感謝を込めて、シェリルは笑った。