始まりの魔女 -3-

 

「ところで、ものは相談なんだが」

 シェリルが落ち着きを取り戻した頃合を見計らい、アルフォンスは口を開いた。

「何?」

 涙を拭い、乱れた化粧や髪を整えたシェリルは、木の枝に腰掛けた隣のアルフォンスに問い返す。

 アルフォンスは少しばかり躊躇ってから、小さくシェリルだけに聞こえるような声で言葉を紡いだ。

「お前、さっきの風、もっと強く吹かせられるか?」

「……!?」

 シェリルは驚きに大きな緑柱石色の瞳を見開いた。

 誰にも、シェリルの力の事は知られていないはず。姉すらも知らないその秘密を、どうして彼が知っているのか。浮かび上がる疑問に思考がついていかず、シェリルは口を半開きにして絶句した。

 驚愕の表情を浮かべるシェリルを見て、アルフォンスは難しそうに唸ってから、仕方なく白状した。

「いや、知らない振りをしていようとも思ってたけどさ、やっぱ駄目。隠し事なんて俺には向いてない」

「いつから、気付いていたの……?」

「大分前から。だってお前、よく一人でどこかに出かけるから。面白半分に尾行してみたんだ。その時に、お前が空飛んだのを見た。……さっきの風もお前がやったんだろうなって思ったけど、違うか?」

 尾行という言葉に対し、思わず怒りが込み上げる。しかし、王城で皇子を罵る事は懸命ではない。眉を潜めたくなるような初めの言葉はあえて聞かない振りをして、シェリルは先程の旋風を起こした事を思い出す。あれは確かにシェリルがやったもの。軽く、風に動けと「念じた」だけだ。傷つけるつもりなど無かったので、力も大分制限した。ささやかな突風に見立てたつもりだったのだけれど、どうやらアルフォンスには見抜かれていたらしい。

 稀に見せるアルフォンスの洞察力の鋭さには感服する。

「……確かに、私がやったわ」

 脳裏に微かな不安が過ぎる。

 彼はなんと思っているだろう。決して、常人にはあり得ないはずのこの力。生まれ出でた時より持っていた異端の能力。地位と性格意外は「普通の人」である皇子の目には、一体どのように映るのか。恐ろしいと感じたかもしれない。または薄気味悪いと軽蔑したか。

 知られてはいけなかったはずなのに。十分気をつけていたが、それも不十分だったのだろう。己の迂闊さに頭痛を覚えた。

 しかし、彼は大分前にシェリルの力を知っていたと言う。彼が触れ回った感じは無く、シェリルの平穏は保たれてきた。また、アルフォンスの黒い瞳に負の感情は見えない。それは、信じても良いという事なのだろうか?

「最初見たときは驚いたけどさ、よくよく考えてみればすごい力だよな。隠してるみたいだったから、誰にも言ってないけど、すごく興味があったんだ」

 いつからか、彼は執拗にシェリルを誘うようになった。

 先日の爬虫類博物館もその一環だ。彼は、シェリルの力に興味があり、それを聞き出す機会でも窺っていたのだろうか。どちらにせよ、彼が悪意を抱いている訳ではないと分かり、心の奥底でシェリルは安堵の溜息を吐いた。

「この力の事は、誰にも言っていないわ。……前に読んだ古文書で、私に良く似た力を持つ者は、悪魔と契約を交わした背信の徒だと記されていた。だから、人には知られてはいけないと思ったの」

 謂れ無き罪で裁かれるのはごめんだ。

 だからこそ、家族すらも欺いてきた。勿論、最愛の姉すらも……。

「悪魔? まさか、シェリルの力はどちらかと言うと神がかってる気がするけどな。だって、あんなに楽しそうに空を飛べるのに、どうして悪魔が関わってると思うんだ?」

「それは……」

 人に無いものは疎まれる。それが不吉なら尚更だ。シェリル自身、この力がどういったものか未だによく分からない。ただ、「念じる」だけで、空気や水、炎すらも自在に動かせる。原理など知らない。ただ、出来るのだ。

 もし、力を殺戮や破壊に使ったなら、人々にとって最悪の脅威だろう。古文書の言葉を借りるならば、悪魔の所業とでも言うべきか。実際このような力を持ち、それを破壊に使った者を見ているわけではないが、おおよその結末くらいは予想がつく。不意に脳裏を過ぎったのは、魔女狩りと言う異国の風習だ。

 この力は人前では使ってはいけない。見せてはいけない。知られてはいけない。

「不吉だもの」

 人に在らざる力など、生きて行く上では不要なもの。

 それでも、シェリルはこの力を厭ってはいなかった。誰かに知られるのを怖れてはいたけれど、それでも力を使うことに躊躇いはない。むしろ、この力で様々な体験ができることにシェリルは喜びを感じていた。

 シェリルの立場が傍観者の側だったとしても、恐らく好奇心は変わらない。

 けれど、それが他の人の目にも同じに映る訳ではない。

「もったいねぇな。一生そうやって隠れて生きてくわけか?」

「仕方ないじゃない」

「……じゃあ、その力を俺のために使ってみないか?」

「え?」

 アルフォンスの言葉の意味を理解する事に苦しみ、シェリルは一瞬思考が真っ白になる。

 それには一体どのような意味合いが含まれているのだろう。

 考えるシェリルを横目に、アルフォンスは言葉を続けた。

「俺も色々と兄様を喜ばせようと思って考えたんだけどな、中々決め手に欠けるんだ。今、婚礼の儀の真っ最中だろう? 庭園の花をありったけ集めて準備はしたんだけど、吹き散らす方法が見つからなくて困ってたんだ」

「は?」

 更に意味の分からない言葉が紡がれ、シェリルの思考は停止する。

「だから、俺とお前で力をあわせて、兄様と義姉様を喜ばせてやろうじゃないかって事。理解できる?」

 つまり、アルフォンスの集めた花々を、婚礼の祝いに撒き散らそうと、そう言うことらしい。そのために、シェリルの力を使わないか、と。

 シェリルはどう答えるべきか真剣に悩んだ。力を人目のつく場所で使ってよいものか。

 しかし、アルフォンスの考えは魅力的でもある。

 最後まで姉と義兄の仲を嘆いていた事の、せめてもの罪滅ぼしになる気がして、思わず受け入れてしまいそうになる。

 それでも、心のどこかで危険を知らせている警鐘が聞こえた。今まで細心の注意を払って隠してきたのだ。公の場で、それも国民のほとんどが集まるその場所で力を使うなど、自殺行為だ。

 だけど……。

「な、二人でちょっと派手に祝ってみないか?」

 きっと、レイリーとセイファンは喜んでくれる。

(姉上が喜ぶのなら……)

 一度だけ、この力を役に立ててみようか?

 アルフォンスは挑むようにシェリルを見つめる。シェリルはその視線に答えるように、伏せていた瞳を上げ、アルフォンスを見つめ返した。

(たった一度だけならば)

 異端の力だとしても、神もお許しになるだろう。

 シェリルは口元に優美な微笑を浮かべて、甘く囁くように答えた。

「良いわ、アルフォンス皇子。その御命令、お受けしましょう」

 その言葉を聞き、アルフォンスは満足そうにいつもの悪戯な笑みを浮かべた。

 
 
 
 

「結局、二人とも来てはくれなかったみたいだね」

 王位継承式を終え、残るは民衆の前に姿を表すだけとなったセイファンとレイリーは、祝福の声が絶えない外の声を聞きながら、部屋で一時の休息を得ていた。

 シェリルが、姉を敬愛する余りこの婚礼に反対していた事を、セイファンは知っている。それが、セイファンの弟、アルフォンスも同じだと言うことも。

 二人して王位継承式に姿を現さなかった所を見ると、やはり祝福はしてもらえそうにない。

 それはセイファンとレイリーにはとても悲しい事だけれど、それでも無理強いをするのは良くない。いつか受け入れてくれればいい。

「少し寂しいわ……」

 ラウェリアを覆う深雪と同じ、眩しいほどの豪奢なドレスに身を包んだレイリーは、悲しげに呟いた。透明な翡翠の瞳を曇らせ、金の長い睫が頬に影を落とす。

 レイリーもたった一人の妹には祝ってもらいたいのだろう。同時に、離れ離れに暮らす事への心細さも存在するに違いない。しかし、それを理由に婚礼を取りやめに出来る訳も無く、またセイファンと共にいられることも限りなく嬉しい。

 どちらを想えば良いのか、複雑な心境でレイリーは小さく溜息を漏らした。

「仕方ないさ。でも、きっとすぐに二人とも微笑ましい姿を見せてくれると思うよ」

「あら、どうして?」

 セイファンはレイリーに近寄り、その形の良い唇をレイリーの耳元に寄せて、他の誰にも聞こえないように囁いた。すると、レイリーの表情がぱっと明るくなる。

 セイファンが言葉を切ると、レイリーから一歩離れて、レイリーを覗き込んだ。

「本当?」

 囁きかけられた意外な言葉に、レイリーは嬉しそうに聞き返す。セイファンは優しく微笑んで頷く。

「そうなったら素敵だわ。ふふ、どうせなら同じ日に祝いたかったわ」

「そうだね。でも君の妹君が承諾しなければ、駄目だけどね」

 回りで聞いているものには理解できないであろう言葉を続け、二人はただ柔らかく微笑んだ。先ほどまでの寂しさは嘘のように消え去り、温かな何かが心を満たす。

 二人は何気無く外を見た。

「あれは何かしら……?」

 レイリーが不思議そうな声を出す。外は雲一つ無い蒼穹の空が続いている。けれど、いつもと何かが違う。

 不思議に思った二人が目を良く凝らすうちに、それは起きた。

 突然、民衆の声が増し、それは次第に感嘆の声へと変わっていく。

 事態を飲み込めないセイファンは、そっとテラスのほうへと誘われるように歩いた。

 そしてテラスから、晴れ渡る空と街と民衆の姿を視界に入れる。

 先ほど見た時と変わらない光景がそこにあり、けれども何かが違う。

 雪のように軽やかな何かが、宙を優雅に舞っていたのだ。

「これは……」

 外を見て、一番初めに感じたものは、春風。優しく包み込むように流れる風が、セイファンの白銀の髪を攫う。それに続き、桃色の吹雪が、民衆の頭上を通り過ぎ、王城に吹き抜けた。

「レイリー、来てごらん」

 セイファンの言葉に誘われて、レイリーは優雅に立ち上がり、純白のドレスの裾を揺らしてセイファンの元へと歩み寄る。

 セイファンの手招きをしていた手が外を指し、つられて視線を外へ向けた。

 外の光景を視界にいれ、レイリーの翡翠色の瞳が大きく見開かれた。

 凍りついた純白に彩られた聖ラウェリア国の大地に、桃色の花びらが舞い落ちる。優しく温かな風に乗り、その花びらはセイファンとレイリーのいるテラスへも、ひらリひらりと羽のように軽く揺れながら落ちてきた。

 瞬く一瞬は万華鏡のようにかわるがわる色を変え、流れを変え、幻想的な景色は色あせること無く二人の脳裏に焼きつく。

 夢でも見ている気分だった。この季節、桃色の花などそう多くは咲かず、ましてや風に吹かれて吹雪くなどありえない。骨の髄まで凍てつかす白亜の世界に、温かな風が吹くことも通常ではおかしいはずだ。

 それでも、美しいと呼べるその光景に、深い意味など考える間も無く魅入るだけ。

 瞬くことも忘れてしまったかのように、二人は無言で散華する花びらを見つめ続けた。ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。それでも、花びらが地に舞い落ちるまでの時間はひどく緩やかに流れ、時を止めてしまったかのように美しく、鮮やか。

 どれほどの時間が流れたのだろう。セイファンは不意に花びらが舞い落ちてくる空を見上げた。

「レイリー、上を見てごらん。ほら、あそこにいるのはシェリルとアルフォンスじゃないか?」

 視界に映る桃色の花吹雪の合間に、セイファンは見覚えのある姿を捕らえる。

 大分高い位置の真空の空に、寄り添いながら浮いている二つの人影が、花吹雪を満足気に見下ろしていた。

 そのうち、シェリルと思われる春色の少女がこちらに気がついたらしく、隣のアルフォンスと思わしき少年の手を引いて、嬉々として空から舞い降りてきた。天使が舞い落ちる瞬間を絵にしたかのように、春色の少女は優美な微笑を浮かべ、義兄と姉に向かってゆっくりと空を飛ぶ。

 セイファンは当然のように空を舞い降りてくる二人を、驚きながらも温かく微笑みかけて迎い入れた。

 けれどその隣で、純白の歌姫は瞳を見開いたまま、呆然と二人をみつめていた。

 その深く澄んだ緑柱石色の瞳に込められた感情は、純粋な驚きなのか、それとも……。

 誰も、この時気が付くことは無かった。

 
 
 
 

「二人とも、どんな魔法を使ったんだい?」

 空から舞い降りてきた少女を抱きとめ、セイファンは興味津々と言った感じで二人に問い掛けた。

「それは秘密ですわ、セイ様。でも喜んで頂けて?」

 シェリルは曖昧に答えを受け流し、セイファンに微笑みかけた。

「ああ、勿論だよ。とても素晴らしかった。ねえ、レイリー?」

 セイファンは隣で未だ夢でも見ているかのようなレイリーに声をかける。

 レイリーははっと我に返ると、どこかぎこちなく笑った。

 気のせいだろうか。シェリルの目に、姉が憔悴しているように映った。

「ええ、とても綺麗だったわ。こんなに素敵な祝い方をしてくれるなんて、思ってもみなかったわ」

「本当に?」

「本当に」

 レイリーはいつもと変わらず、光が弾けるように優しく微笑んだ。

 くすくすと笑いが溢れ、穏やかな会話を続け、四人の兄弟と姉妹は、お互いがまだ家族でいられる一時を噛み締めながら、胸にあるわだかまりを隠し、談話を続けた。

 それを、部屋の扉の外で一人の男――王弟ドルアーノが覗いていた事を、誰も知る事は無かった。

 そして男の口元が歪みを形作っていたことも、誰も気付かない。

 何かがゆっくりと崩れ始め、心の奥底で狂気と恐怖を覚えた瞬間、全てが始まった。