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始まりの魔女

第六話

例えば、誰かが暗闇の本当の姿を知っていれば、こんな事は起こらなかった。
例えば、神を神聖視している者が、その影の部分も受け入れているのだとしたら、全ては未遂で終わったかもしれない。
それでも、起こってしまった事は変えようがなく、悔やむ事さえ許されはしない。
ただ、全て忘れて記憶の奥底に鍵をかければ全てがなくなると思った。
それでも錆びていた鍵は、春風の到来と共に塵のように崩れ去り、封じた記憶は後から後から鮮明に蘇り、忘れようと努めても夢にすら浮かび上がる。毎夜毎夜繰り返される悪夢。
短剣を胸に受け、悲しみとも怒りとも分からない表情をした女性と、剣を突き立てた男。
真っ白い部屋の真ん中の凄惨な光景。
何も映さない緑柱石色の瞳で、虚空を遠く見つめる瞳孔の開いた瞳。色彩を失った生きた人にない、真っ白い肌。崩れ落ちる瞬間は永遠のように長く感じられ、赤く滴る液体は真っ白い床に禍々しいほど栄えていた。振り返る父の姿。今にも泣きそうな顔をしていた。
ゆっくりと、父だったその人は近付き、そしてその血に塗れた大きな手を、自分の頭の上にのせ、重々しく口を開く。
『わざわいは、絶たねばならなかった』
悪魔に魂を売ったものは、すぐさま排除されたし。
耳が遠くなって行くように、父の声が遠ざかる。意識が混濁し、泥沼に引きずり込まれて行くよう。ゆっくりと、意識は白く霞み、動かない母の姿が見えなくなって行く。
(何故、お母様は死んだの?)
誰かが答える。
――悪魔に魂を売ったから。人にあらざる力を使うから……。
(人にあらざる力とは何?)
――魔道だ。だから、死んで当然なんだ。
(どうして?)
――呪われているから……。
痛々しい言葉。疑問に答えた声は、最後に『全て忘れなさい』と言った。全て忘れれば、わざわいは消えるから。道を踏み外さずに、生きなさいと。だからこそ、少女は心に全てをしまいこんだ。忘れよう、忘れてしまおう。あれは白昼夢。何もなかった。
それなのに、今更になって記憶が呼び起こされた。
きっかけは、空を舞う少女と、春風を呼んだ異端の力。
――呪われているから……。
そうだ、呪われる。命も体も呪われてしまう。神に反する気などないのに、この呪いは永遠に身を苛む。永遠に……。この身に流れる血が、永劫呪いを受け継いで行く。輝かしい未来は来ない。全てはあの忌まわしい力が生んだ結果。少女の記憶に残る、母の空を舞う姿。それは、魔道に忌々しいほど酷似した、異端の能力の一欠けら。そして、全てのわざわいの元凶――。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
静寂に満たされていた空気を引き裂かんばかりの甲高い叫び声が上がった。
暗い部屋で、レイリーは自らの肩を抱いて、寝台の隅で小さくなる。心に黒いものが入り込んできているようで、募る感情は闇。暗い思いが後から後から込み上げる。全身に悪寒が走り抜けた。
「レイリー?」
隣で誰かが呼ぶ。普段は優しい声が、突然起こされたせいか驚きに満ちていた。レイリーは声のする方へ、弱々しくしく手を伸ばした。辺りは暗闇に包まれ、何も見えない。頭の中は混沌の世界のように様々な想いが、闇が、悪夢が飛び交う。鼓動が耳に痛いほど大きく聞こえた。
「セイファっ……セイっ!」
必死に隣にいるであろう誰かの名前を呼ぶ。温もりを探り出そうと、冷えた空気を裂いて、腕を伸ばす。温かい何かが触れた。それが人の腕だと分かると、レイリーは有無言わさずそれにしがみつくように強くつかんだ。
「レイリー、どうしたんだい?」
暗闇の彼方からかけられる声。良く知った穏やかな優しい声。それでも今のレイリーの心の闇を払う力はなかった。レイリーは怯えたように、ただただ震える。混濁する意識の中からようやく二言三言、必死に言葉を紡いだ。
「呪われてる……っ。この力は呪われてるのだわ……!」
普段美しい歌を歌う声は掠れ、恐怖に苛まれたかのように震えていた。
暗闇の中で、セイファンは隣の妻を両の腕で包み込んだ。ぴくりと、その背中が震えたが、すぐにセイファンの胸へと顔を埋めた。何とか落ち着かせようと、セイファンは優しく妻の背中を撫でてやる。
「どうしたんだい?」
レイリーは答えず、ただセイファンの腕の中で震えるばかり。
すすり泣きにも似た嗚咽が、レイリーの口から漏れた。セイファンがレイリーの顔に指先を伸ばすと、濡れた感触が伝わった。レイリーは、どこにそんな力があるのかと、疑いたくもなるような力でセイファンの首に腕を回した。
「駄目よ。私は……違う。呪われてなんてない」
震える体は、予想よりも遥かに細かった。前から華奢ではあったけれど、これほど細かっただろうか?
セイファンは痛々しげにレイリーを抱きしめる。明らかに、レイリーは正常ではなかった。最近のやつれ具合も、毎夜うなされている事も。普通ではなかったのだ。それなのに、セイファンは気付く事が出来なかった。何かが、レイリーの心を毒し続けていた。
シェリルはそれをつきとめてみせる言った。だが、すぐに答えが出るわけも無く、結局一日の夜が更けようとしていた。未だ東の空に光の浮かばない、暗闇の早朝の事だった。
御子が生まれたその日の晩、御産の疲れが出たのか、レイリーはすぐに疲弊した体を休ませる為に眠りについた。セイファンは妻の隣で自らもうたた寝をしてしまっていたらしく、レイリーが突如悲鳴をあげるまではうつらうつらとしていた。生まれた御子は侍女たちに連れられ、今は隣のシェリルの休む部屋に寝かされている。セイファンとレイリーの代わりに、御子の世話を買って出てくれたのだ。
「レイリー? どうしたっていうんだ?」
レイリーの口から紡がれる言葉、それはセイファンには全く分からないものだった。
混乱している彼女を宥めようと、セイファンは必死にそのか細い体を抱き寄せた。
それでもレイリーの震えは収まる事無く、枯れた嗚咽はやまない。
「違う……私は違う……」
呪詛のように、レイリーはただ一つの言葉を呟き続ける。
セイファンはどうしてよいか分からず、開かれていない扉の方をちらりと横目で見た。部屋は暗闇に包まれているので、視界に映るものはひたすら濃い暗闇のみ。それでも、何かが潜んでいるような気がして、セイファンは暗闇を強く睨みつけた。
と、その時、遠慮がちに扉が叩かれ、小さく開かれた。緩やかな光が、僅かに開いた扉の隙間から差し込む。セイファンははっとしたように、部屋を訪れた誰かの姿を認めようと、暗闇に慣れた為に眩んだ瞳を凝らして扉を凝視した。
「セイ様、姉上……?」
聞こえてきた涼やかな声は、シェリルのものだった。セイファンは強張っていた体を緊張からほぐした。
「シェリル」
セイファンはシェリルに声をかけた。すると、レイリーの肩が一瞬固まった。
シェリルは声のする方へと、歩みを進め、暗闇を照らすべくあらかじめ手にしていた燭台に火を灯した。
暗い闇に包まれていた部屋が仄かな光に照らし出される。シェリルは苦労する事無く、セイファンと、セイファンの腕で小さくなっているレイリーを見つけた。
「姉上、どうしたの?」
シェリルは走りよってきて、レイリーの前に腰を下ろす。レイリーは顔を上げようとしない。
「突然、叫びだして……。何かまた悪い夢を見ていたようなんだ」
答えないレイリーに変わり、セイファンが事の状況を言葉にする。
シェリルは嫌な予感が的中してしまった事に、心の奥底で悪態をついた。
たった今、浅い眠りについていたシェリルは、冷たい気配を感じ取り、自然に目が覚めた。何か暗闇の中を嫌な気配が動き回っている気がしたのだ。シェリルは精神を研ぎ澄まし、その気配を追った。瞳を閉じ、冷たい気を放つそれを追うと、それは隣の部屋で蠢いていた。人ではない気配。音も無く蠢くそれは、物質ではない悪意の塊に思えた。
急に不安が込み上げ、シェリルは御子を一人残し部屋を飛び出していた。そして聞こえた姉の叫び声。驚きのあまり、シェリルは上着を羽織る事も忘れ、寝着のまま冷たく暗い廊下を走り抜けた。そして、暗闇のなかに、蹲る姉を見つけ、思わずシェリルも悲鳴をあげたい心地となったのだ。
「セイ様、一体何がこの部屋にいたのです?」
「この部屋? 何を言っているんだシェリル。この部屋には僕とレイリーしかいない」
「そんな……。 でも確かに……」
確かに感じたのは異常なまでの冷気と悪意。今この場にいるだけでも、その残り香を感じ取れる。あからさまなまでの気配を放つこれは、一体なんだと言うのか。まるで、悪霊を相手にしている気分だ。シェリルは再び精神を集中し、気配を追った。だが、はっきりとしていたはずの気配は遠ざかり、気がつけばこの場にはシェリルを含め三人の存在しかなかった。それでも悪意の塊のようなものが、暗闇の中に充満しているようで、ひどく息苦しい。
「シェリル? 君も、悪い夢でも?」
セイファンにそう尋ねられ、シェリルは心臓が飛び出すのではないのかと思うほど驚いた。
過ちでも自分が口走ってしまった事に後悔する。そうだ、セイファンとレイリーには、シェリルが異端の力を持つと言う事を知られてはいけない。否、知られたくは無い。それ故に、遠まわしに隠してきたというのに。
誤魔化すようにシェリルは平静を装い首を振り、一向に顔を上げようとしないレイリーに一歩近付いた。
すると、レイリーは虚ろな瞳でシェリルを見上げた。まるで廃人のように混濁した瞳。開かれてはいても、何も映していない瞳が、シェリルの方に向けられた。
「姉上……?」
こんな視線を向けられたのは初めてだった。まるでシェリルを哀れむかのように、ぼんやりと見やるその姿は、感情がひどく読み取りにくく、それでもどこか突き放した雰囲気を感じさせる。
シェリルはそんな姉の様子に狼狽える。
「……呪われているのは、私じゃないわ」
透きとおる声で紡がれた言葉は、冷たい響きが込められていた。
「姉上?」
もう一度、姉を呼ぶ。だが、レイリーはその声に答えようとはせず、小さく体を振るわせた。そして、自らの体を抱き、苦しげに瞳を閉じて首を振る。まるで何かと葛藤しているかのように。
「違う、私はこんな……知らない。やめて……これ以上見たくは無い……」
呟かれる言葉。レイリーは更に苦しげにうめいた。
シェリルはその時ようやく気付く。レイリーの中に黒いものが溜まっている。それは悪意と呼ぶに相応しい何か。目に見えるものではない。それでも、レイリーの周りだけ、その黒い気配は渦巻くように彼女を毒していた。まるで、呪いのように。
シェリルは震える姉に手を伸ばした。シェリルの力で、その霧のような黒い靄を取り払えるかもしれない。そう思い、レイリーに触れようとした瞬間、黒い気配はシェリルを威嚇するように固まり、目に見えない力でシェリルの腕を叩きつけた。
「……っ!」
伸ばした左腕に、骨にひびが入ったかのような痛みが走り抜ける。だが、それはほんの一瞬の事で、痛みはすぐに和らいでいった。シェリルはレイリーを蝕む黒い気を睨みつけた。
思い違いではなかった。これは間違いなく魔道の力。シェリルと良く似た、それでも明らかに違う忌まわしい呪いの力。誰かが、悪意に満ち満ちた呪術を使った。レイリーの衰弱ぶりは、私生活の乱れでもなければ、御産のための体調の変化でも無い。全ては黒い魔術が彼女を毒していた為。
シェリルはきつく唇を噛んだ。姉を救う為には、この黒い気配を絶たねばいけない。だが、姉に取り巻くそれは、レイリーの体に複雑に絡みつき、レイリーを傷つけずに取り払うのは難解に思われた。恐らく、この黒いものはシェリルの力よりも弱い。だが、何重にも絡みついたそれは、シェリルの思惑よりも遥かに強く、粘りつくように巻きついている。
シェリルはセイファンを見た。
白き王は、心配そうにレイリーを覗き込んでいる。恐らく彼はこの黒い気配を感じ取れていないだろう。第六感とでも言うべき能力を持つシェリルだからこそ、この黒い気配はシェリルが触れることを頑なに拒否した。シェリルは姉に触れることが出来ないのに、セイファンはレイリーを包み込んでもなんとも無いようだ。それは、一体何故だろう。シェリルは困惑しながら、何か解決策を考えた。
(どうすればいい? どうすればこの黒い気を消す事が出来る?)
シェリルが力の限りを込めて、レイリーの黒い気配を引き千切ろうものなら、恐らくその黒いものはレイリーの体も同時に道連れにしようとするだろう。ならば、呪術を破る方法は一つだけ。呪術を施した本人に、呪いを解かせること。
シェリルは黒い気配を操る力の気配を辿った。細い糸のような気が、そう遠くない場所から伸びている。近い。シェリルははっとしたように顔を上げた。糸のようだった気配が、急に大きく膨れた。更なる悪意を持ってレイリーの中の黒い気に、より一層濃い闇を絡ませる。それはシェリルの肉眼にも、瘴気のようなもやとして映りはじめた。
「いけない!」
これ以上黒いものが入り込めば、レイリーは無事ではいられない。
だが、止めようとしたのが少しばかり遅かった。レイリーは一度激しく痙攣を起こし、胸を抑えて苦しげにうめいた。蒼白な顔色はもはや真っ青で、血の気の感じない色合いになっていた。震える華奢な肢体は今にも崩れ落ちそうで、目にはっきりと映りだした黒い気配がレイリーを包み込む。
「姉上、お気を確かに! 自分を見失わないで!」
この黒い気配に飲み込まれてしまえば最後。レイリーの心は潰されてしまう。シェリルはもやはセイファンの事など眼中に無いように、力を惜しげもなく使った。
姉に流れ込む黒い気配を断ち切るために、白い刃のような光を腕に纏わりつかせる。強く光を放つそれは、悪魔がもっとも嫌う属性を持つ力だった。シェリル自身、このような方法で力を使うことなど無かったが、何故かやり方は知っていた。まるで生まれる前からその力を使いこなす事が出来ていたかのように。
シェリルは驚くセイファンを横目に、レイリーに纏わり憑く黒い気配を、白い光を纏わせた腕でなぎ払った。闇が霧散し、レイリーに入り込もうとしていた黒い気が消えうせる。それでも、彼女の中に複雑に絡んだそれを消す事は出来ない。シェリルは再び、近付いて来た気配を断ち切ろうと、腕を上げた。その瞬間。
レイリーの中にあった黒いものが一斉に凝縮し、レイリーの体を埋め尽くした。そして――。
「きゃぁぁぁぁ!」
悲鳴とともに、シェリルの体が浮き、見えない突風に煽られたかのように壁際まで吹き飛ばされた。
突然の事態に驚いたセイファンが、声をあげる。
「シェリル!」
背中を石の壁に叩きつけられ、シェリルの息はほんの一瞬呼吸を失う。骨が軋む音がして、同時に鞭に打たれたような痛みが駆け抜けた。そして浮き上がった体が、ずるりと壁にもたれながら崩れ落ちる。
「……うっ……」
痛みに耐えるようにシェリルは歯を食いしばり、よろよろと立ち上がろうとした。だが、衝撃に耐え切れなかったのか、完全に体を起こす前に再び床に手をつける。シェリルはせめて何が起こったのか理解しようと、レイリーの方を見た。
そして絶句する。
レイリーは不気味なまでの黒い気配に包まれて、心を空にした人形のように虚ろな表情で、立ち上がっていた。その手には、先ほどシェリルが力を使った時のように、仄かに光を纏い、目に見えない力を放っていた。まるで、シェリルが力を使う時のように。
「あ、姉上……?」
信じられなかった。こんなにも特異な力を持つのはシェリルだけだと思い込んでいた。
それでも、目の前でシェリルを吹き飛ばしたのは他の誰でもなくレイリー自身で。彼女が身に纏う力はシェリルと全く同じ気配がしていた。魔道とは違う、別の力。生まれながらに持ち合わせた、異端の存在の証……。
「そんな……」
言葉が思い浮かばない。今まで力を隠しとおしてきたのはシェリルだけではなかったのだろうか。
複雑な思いが交差する中、レイリーが動いた。
体をセイファンに向け、ゆっくりと腕を上げる。セイファンは突然のレイリーの変貌に、ただ驚きを隠せずに呆然と美しい妻を見つめている。その瞳に浮かぶ感情は恐怖と言うよりも困惑。それが、セイファンの動きに隙を作った。
レイリーは腕の先端に力を集める。目に見えないはずの力が少しずつ具現化し、白い光を収縮し始める。
シェリルはレイリーが何をしようとしているのか気付き、動かない体を無理矢理捻り、力の限り叫んだ。
「セイ様、逃げて!」
これは悪意で使う力。魔道ではないのに、レイリーの作り出した力の塊は、黒い気と交じり合い、複雑に絡んで禍々しいまでの光を作る。そして、光がレイリーの掌から放たれようとした瞬間、レイリーの動きが時間を止めたかのように静止した。
おそらく放たれていたなら、巨大な爆発を生んだだろう力は掌に集ったまま、レイリーは力なく後退した。セイファンはただ成り行きを見ているだけで、魂が抜けてしまったかのように呆然としていた。
「……やめて……。これ以上、私を動かさないでっ」
紡がれた言葉に、シェリルは一つの疑問を覚えた。レイリーの様子がおかしすぎる。まるで、二つの意志が一つの体に潜んでいるかのように、レイリーの言動は不一致だった。
レイリーはさらに数歩後退する。出来るだけ、シェリルとセイファンから離れるかのように。
「もう、誰も傷つけたくなんて無い……」
レイリーの周りの瘴気が少しずつ晴れて、薄らいだ。シェリルはその様を見て確信した。
(誰かが、姉上の心に入り込んで操っているんだわ)
でなければ、レイリーはシェリルを吹き飛ばしたりしないだろうし、セイファンに攻撃をすることも決してしないだろう。
先ほどから送られていた黒い気は、レイリーを呪うだけではなかったのだ。レイリーの心を操り、セイファンを攻撃しようとした。つまり、間接的にセイファンを消そうとした訳だ。それは、王位を狙う者にとっては、最善の策だろう。自らの手は汚さずに、確実にしとめることが出来る。そして、セイファンを始末した後は、不思議な力持つレイリーを背信者として消せばいいだけ。そうすれば、王位を狙うものは難なく事を進められる。つまり、これは魔道をつかった暗殺。全てを王妃の狂気で済ませるための、忌々しい戯曲。
「違う……私は……私達は、呪われてなどいないわ」
震える声でレイリーは言い切り、自らと葛藤しながら腕を自身のほうへと向けた。掌には、破壊の力を持ったまま、レイリーはゆっくりと自身に力を向ける。
シェリルは姉が何をしようとしているのか気付き、未だ悲鳴をあげる体に鞭打って姉の方へと駆け出した。
「姉上! 早まらないでっ」
レイリーの白い表情が、ゆっくりと微笑を浮かべる。いつもの優しく清らかな笑みで、セイファンとシェリルを温かく見つめる。一言二言、何かを口の中で呟き、レイリーは自身に向けた腕を抱きしめるように自らに向けて放った。同時に、シェリルの腕が姉に向けて伸ばされる。
時間がひどくゆっくりと流れた気がした。
真っ白い光が、全てを包み込むように、視界がぼやけ、次第に白く霞んでいく。
シェリルは全身全霊の力を込めて、姉を救いたいと願い、白く染まる視界の向こうにいる最愛の人を呼んだ。そして、時間が動き出す。
雷が目の前で落ちてきたかのような巨大な爆発音が轟き渡り、静寂に包まれていはずの王城に喧騒を呼んだ。庭園の木で羽を休めていた小鳥たちが一斉に飛び立ち、深いまどろみの中にいたはずの人々がはっとしたように目を覚ます。
爆音に続き、突風が吹き抜け、急に冷たい空気が肌を刺すように辺りに立ち込めた。
白い光が収まり始め、惨劇を目の当たりにしたセイファンはようやく事に次第を飲み込み、強張った体を起こした。
目の前で、二人の姉妹が白い光に包まれて、爆発した。
衝撃が胸を駆け抜け、締め付ける。
「レイリー! シェリル!」
完全に白い光が消えうせ、爆風に煽られてあがった砂埃も薄れ視界が広がると、セイファンは凄惨な光景に思わず目を見開いた。
部屋だったそこは見通しの良い屋上のように、壁も屋根も全てが消えうせていた。薄暗い光が差し込みだした空が見渡せ、足場のみが残っているだけだった。
セイファンは良く目を凝らし、見通しの良くなったその場所に誰かがいないかと必死に探した。
やがて硝煙も薄れていき、視界がはっきりすると、セイファンは瞳に映った桃色の色彩に微かに安堵の息をもらした。
二人の姉妹が破壊された部屋の真ん中で、蹲っていた。シェリルは姉を守るかのように抱き、レイリーは気を失っているのか、ぐったりとしていた。だが、目立った外傷は無く、規則正しく胸が上下していたので、セイファンは全てが無事で済んだ事に、深く心の中で神に感謝した。
セイファンが二人に近寄ろうとした。だが、背後にあったはずの、既に扉の形を留めないものの先に続く廊下から、どたどたと近付いてくる足音が聞こえてきた。真っ直ぐにこの場所へ向かってくるその音に、セイファンは微かな不安を感じ取り、振り返った。
そして、セイファンの瞳が大きく揺れた。
全てが一段楽したと思った瞬間、セイファンの夜色の瞳に映ったものは、武装した十数人の衛兵達と、冷たい微笑を浮かべた前王弟、ドルアーノだった。